Boribon Kippkopp Laci és az oroszlán Kockásfülu nyúl Egyebek Marék Veronika


自伝


1937年12月19日にブダペストで生まれました。父は医者でしたが、作家としても成功していました。母は歯科医で、後に小学校の医者をしていました。4歳年上の兄であるマレーク・ペーテルも同じく医者の道を選び、有名な眼科医になりました。

私は、小さい時から本が好きでしたので、読むことを早くに習得しました。
少し後に、絵を描くことの喜びも知るようになりました。中学生のころに、磁石が引きよせるかのように、劇と人形の魔法のような世界に魅了されました。
17歳のとき、初めて絵本をかいて、それは1956年に出版されました。

ファゼカシュ・ミハーイ高等学校を優秀な成績で卒業しましたが、その先何になるべきか決められませんでした。ディスプレイ装飾を学ぶため、1年間応用美術大学に通いました。人形作家になりたいと思っていたのです。でも、退学させられてしまいました。その後1年間は、クリスマスの飾りの装飾をしました。それから、国立人形劇場に就職しました。
そこで過ごした4年の間に人形劇師としての資格を取り、あこがれの人形劇の世界の味見をすることができました。
その傍らで、ELTE大学人文科学部ハンガリー文学科の通信課程を修了しました。

1963年は、大きな決断の年でした。フリーの作家兼イラストレーターになりました。それから、舞台デザイナーのカウニッツ・エルビンと結婚しました。
後に、ふたりの息子、タマーシュとミクローシュが生まれました。

その頃には、モーラ出版社からいくつもの絵本が出版され、コルヴィナ出版社によってさまざまな言語で出版されました。1965年に日本でラチとらいおんが出版され、今日までロングセラーとして売られています。

DömöõDööö(ドゥルムグー ドゥムトゥル)と Kisdobos(キシュドボシュ)という子供新聞の制作に関わったり、ラジオ番組のシナリオや、数多くの人形劇のシナリオや、ハンガリーテレビ局の子供番組の脚本をかきました。

この間、1974~76年にかけて、ハンガリーテレビ局の依頼により「耳がチェック柄のうさぎ(コツカ)」というアニメーションの26話にわたる脚本を手掛けました。リチィ・ジョルトのすばらしいイラストと監督で、パンノニアアニメ映画制作会社より映画化されました。このシリーズは、今でも子供だけでなく大人にも親しまれています。

旅も私の人生の一部でした。ハンガリーのさまざまな地方の児童図書館から、学校から、作家と読者の会などから、本当にたくさんの招待を受けました。こどもたちにおはなしをして、絵を描いて、人形劇をしました。

絵本や本の制作の他にも、コミックマンガや、パズル、おもちゃも作りました。
室内ゲームの制作にも関わりました。

1976年に離婚して、建築家のヘインリッヒ・フェレンツが2人目の夫となりました。彼の
建築家としての成功のおかげで、ツェルザ出版という自分たちの出版社を立ち上げることができました。

夫と共に、ヨーロッパの国々や日本へ何度もすばらしい旅をしてきました。

ふたりの息子、タマーシュとミクローシュはカメラマンになり、夫の娘は精神病医です。4人の孫もいます。カウニッツ・ミラーンとリリ、ヴァシャディ・エステルとノエーミです。

ブルンミとアンニパンニシリーズと、キップコップシリーズとともに、新しい作品づくりと、昔の本の復刻など本の制作が続いています。

ドイツ語、英語、スペイン語、ポーランド語、ルーマニア語、セルビア語、韓国語、日本語で私の本が出版されました。日本は、私の第二の故郷となりました。21の本が出版され、「ラチとらいおん」の出版数は50万部近くになります。

1983年に青年賞を、そして、2006年にヤニコヴスキー・エーヴァ賞を受賞しました。

70歳を過ぎましたが、有難いことにまだ働いています。そして、イラストつきの家族小説を書いてみたいと思っています。書き上げることができますように。とはいえ、この歳では毎日がプレゼントであるということはわかっています